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代表ご挨拶

 

高野山總寺院の墓碑供養塔販売窓口をさせていただいております、

合同会社国稀堂 代表 の「伊藤 文絵(いとう ふみえ)」と申します。 

 

企業のお墓建立は、一生に一度のことですから、 

「頼んで本当によかった」と思っていただけるよう、

誠心誠意対応させていただきます。 

疑心暗鬼の心持ちではいいお墓つくりはできません。 

会社の代々を刻んでいくわけですから 

正直言って、あまり人には話したくないことですが、 

信頼関係を築きたいので、自己紹介かたがたすべてをお話します。 

 

私伊藤は今でこそ、納骨アドバイザーと名乗っていますが、

実は私は、4年前まで お寺のことも、お墓のことも、葬儀のことも全く知識ありませんでした

まして、仏教のことも歴史も興味ありませんでした。

お墓は「怖いところ」とさえ思っていました。 

 

 

前職は、長野県で13年間、3店舗の飲食店を経営してきました。 

 

出身は北海道の増毛町という人口5千人の小さな町で生まれ育ちました、ド田舎者です。 

新卒で就職した広告代理店で東京に転勤になり、 

その後25歳で、有限会社Creative eyeを設立し、広告会社を経営してきました。 

 

そんな、お寺に縁もゆかりもない私が、 

なぜ、高野山のお墓を売ることになったのか・・・ 

 

2010年12月1日。 

 

私は、小さい頃から心の支えとなっていた母と突然、永遠のお別れをしました。 

お墓の仕事を始めるきっかけは、母の他界です。 

 

母を亡くし、悲しいはずのお葬式も悲しんでいられないのが日本の葬儀なのだと思いました。 

家族を亡くして、初めて葬儀や仏事の実情を知りました。

 

 

お坊さんは、お経をあげる人。お寺はお葬式をするところ・・・そんな程度の考えでした。

 

 

母が亡くなって、次の難題がお墓でした。 

北海道は雪があるため、お盆に納骨をすることになったのですが、

その時実家に居るのは、 残された70歳を越えた父だけです。 

 

私には妹がいますが、故郷を離れ北海道には居ません。 

ゆくゆく、父が年老いていくと、この田舎のお墓は私たちにとって実際にどうなの? 

という、現実問題が重くのしかかりました。

 

そこから、私のお墓研究が始まりました。 

 

ところで、 

お墓がうちはあるけど、ずっとここから移動できないの? 

お墓って、いくらするの? 

お墓って、どこで買うの? 

お墓って、手続きとかあるの? 

・・・・・などなど・・・ 

 

友人や親戚に、しつこく聞きまわりました。 

でも、案外お墓を持っている人でも詳しいことを知らないのです。 

 

そこで、お葬式をした檀家になっているお寺の住職に相談したのです。 

母は亡くなる前に、「私のお葬式はセレモニーホールではなく、お寺でする。」と言っていました。 

その意味が、住職と初めて向き合って話をしてみて、やっと解ったのです。 

言葉や形じゃない、自分に経験のない何かを感じたのです。 

 

その時、私は決めました。 

生きている間にできなかった親孝行ですが、私が先祖のお墓を守っていこうと・・・ 

親孝行の代わりのお墓を建てることを、決意した瞬間でした。

 

だから、もっと知るためにお寺とつながる仕事を始めたのです。 

他にも、同じ悩みを抱えている人がいるだろう。 

困っている人の支えになりたい。

でも、自分のために始めたというのがホントのところです。

 

 

そうして、私は納骨アドバイザーとして活動を開始しました。 

そんな私に衝撃的な出来事がありました。

 

ある日、涙が止まらなくなるほどの美味しいお茶を、あるご住職が煎れてくださいました。 

涙で、しょっぱいお茶でしたが、本当にあの時の味は、忘れられません。 

「君は、どこを向いて商売している?」 

「君は、お寺にどんなイメージがある?」 

「お墓は、何をする所だと思う?」 

私が思っていることが、相手に「伝わっているもの」だよ!と・・・ 

 

図星です。 

 

お墓を「商品」としか考えていませんでした。 

お坊さんはお経をあげて、儲けている人。 お寺は、お葬式の場所。 

そう思っていたのですから。 

 

お寺の本当の役割とか、お坊さんの毎日なんて知ろうともしていませんでした。 

今まで中途半端に取り組んでいた自分が、恥ずかしくてたまらず、まともにご住職の顔を 

見ることが出来ませんでした。 

 

それから私はお墓の仕事に、真摯に取り組みました。 

まず私自身の中で一番変わったのは、お坊さんの活動を真剣に見るようになったことです。 

 

そのために、 

真言宗、天台宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、浄土真宗、日蓮宗など、仏教の各宗派についても 調べました。 

さらに、 

お経、仏像、お坊さん、密教、暦、易学、神社、仏閣、梵字、石仏、マンダラなどに関する書籍も、まだまだ足りませんが100冊程度読みました。

 

もちろん、実際に現地へも行きました。

伊勢神宮、出雲大社、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)、高野山金剛峯寺(高野山真言宗総本山)、比叡山延暦寺(天台宗総本山)、 東寺(東寺真言宗総本山)、知恩院(浄土宗総本山)、東本願寺(真宗大谷派総本山)、身延山久遠寺(日蓮宗総本山)などの有名な神社、仏閣などには足を運び体感することもしてきました。 

 

終活セミナーにも参加してきました。 

 

その甲斐あって、 

今では「国稀堂さんにお願いすれば安心だから」と、お寺のご住職や、お施主様から多くのご紹介をいただき、創業間もない私ですが、お墓の仕事を任せて頂けるようになりました。 

 

そんな活動を見ていてくださっていた、あるお寺のご住職より「高野山に行ってこい!」と、 言われました。

訳も分からず高野山に足を運んだわけですが、 

高野山に魅力を感じ、幾度となく訪れるようになりました。 

 

勿論、最初は「高野山のお墓を売りたい」と 言っても、首を縦になど振っては くれませんでした。 

次第に私は、高野山に自分の先祖の 「お墓を建てたい」と思うようになって いったのです。 

 

知れば知るほど、これ以上の墓所はないと確信していったのです。 

何度も何度も高野山に出向き、紹介してくださったご住職の口添えもあり、

やっとの思いで、 總寺院墓所販売の窓口を、任せていただくことになった次第です。 

 

それが、 

名もない私が、日本仏教の発祥の地「高野山」の墓碑供養塔販売の窓口となったいきさつです。 

 

そこから、現在の発売に至るまで 

様々な方々の協力もあり、発売できる態勢が整いました。 

世界遺産のお墓という厳しい規制に、涙する苦労もありました。

 

 

高野山の魅力はたくさんありますが

なんと言っても、高野山のお墓に対する考え方は 

今までの自分が考えていたお墓の在り方を覆すことになったことは、間違いありません。 

 

 

「高野山から、お墓の在り方を伝えていく」 

 

「創業者の想いを1000年先までも、変わらず残す」 

 

 

これが、高野山墓碑供養塔に対する私のミッションです。 

 

「安心」して、高野山に供養塔(お墓)を建てていただくために、

私にできることは何か?を、 いつも考えています。 

高野山のお墓は、企業の軌跡を永遠に残します。 

 

ひとつひとつ丁寧に、つくりあげていく所存です。 

慣習やしきたりのご説明などの、お墓を建てられる前の情報提供はもちろんですが、 

本当に大切なのはお墓を建てられた後のこと。 

 

1000年、2000年と、引き継がれていくものです。 

世界遺産に創業者の想いが、次世代へのメッセージとして残されるのです。

 

法要・仏事の他、メンテナンスに関わるすべてのご相談に、

代表の伊藤が、責任をもって応じていきます。 

私どもがつくるお墓がすべての方にとって、百点満点ではないと思います。 

しかし、お客様の気持ちに寄り添い一生懸命やらせていただきますので、 

ぜひ、お気軽にお問い合わせくださいませ。 

 

 

               

     

 

 

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